東京高等裁判所 昭和40年(行コ)39号 判決 1970年5月29日
控訴人(附帯被控訴人)
国
指定代理人
松崎康夫
外一名
被控訴人(附帯控訴人)
古賀ヨシ
外七名
代理人
丸尾美義
外一名
主文
原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
被控訴人らの請求を棄却する。
被控訴人らの附帯控訴を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも全部被控訴人らの負担とする。
事実《省略》
理由
一、<省略>
二、次に当裁判所は、原審と見解を異にし、被控訴人らの退職手当支給の遅延を理由とする損害金の請求をも、理由なきものと判断する。その理由は左のとおりである。
法はその第二条において、「退職した場合に」退職手当を支給する旨規定するのみで、支給すべき日を明定していないが、その趣旨は、退職と同時に退職手当を支給すべき債務が発生するとはいえ、その履行期は、当該の各事案にかんがみ、退職後退職手当の支給を準備するために要する合理的な期間を経過したときに到来するものとするにあると解するのが相当である。
これをふえんすれば次のとおりである。すなわち退職手当は「退職した場合」に支給すべきものであるから、退職なる事実の発生により支給すべき債務が当然発生することはもとよりいうまでもないところであるが、死亡による退職の場合には、死亡の日をあらかじめ知り得ないから、退職の日に退職手当を支給できるようにあらかじめ準備することは不可能であり、また、退職の日を最も確実に予測できる定年退職の場合においても、それはあくまでも予測であるにとどまり、定年前の死亡、退職手当の支給制限事由の発生等退職手当の支給に影響を及ぼすべき未確定要素の存在を無視することもできないのみならず、会計法規は、退職なる事実が確定的に発生した日の翌日以後において、各省、庁の長の退職手当の支給決裁(会計法第一〇条)およびその通知行為としての退職者に対する支給辞令書の交付、その他具体的な支給手続として、(一)大蔵大臣に対する支払計画表の送付(財政法第三四条第一項、予算決算及び会計令第一八条の一〇第一項)、(二)これに対する大蔵大臣の承認通知(同令第一八条の一一)、大蔵大臣より日本銀行本店に対する支払計画通知、(三)退職者の所属庁に対する支払計画表ならびに支出負担行為計画示達表の送付(同令第三九条、第四一条)、日本銀行本店から所属庁所在地の日本銀行支店の所属庁支出官口座への振込み、同支出官の同支店に対する小切手振出による送金依頼(会計法第二一条第一項、予算決算及び会計令第四九条第一項、支出官事務規定第一五条第一項、第一七条第一項)、(五)同支店の同支出官に対する小切手領収書の交付(日本銀行国庫金取扱規程第三〇条)、(六)所属庁より退職者に対する国庫金送金通知書の送付、同支店より退職者居住地の銀行に対する支払のための送金等の一連の手続を履践すべきことを要求しており、会計担当官はこれら所定の手続を遵守すべき公法上の義務を負うものであるから、一般的にいつて退職と同時に退職手当の支給を求めることは、時間的に不能を強いるにひとしく、したがつて退職手当の履行期は普通の場合においては右手続履践に必要な期間、また特殊な場合例えば法令の改正に伴ないその運用につき疑義を生じ、研究を要するような場合には、その研究に必要な期間等例外的に必要とされる手続に要する合理的な期間を経過したときにはじめて到来するものとする趣旨であると解するのが相当である。
ところで、被控訴人らの先代古賀岩蔵の退職手当は、同人の退職後三回に分けて支給され、第一回は昭和三六年七月六日金一四七万七、四四〇円、第二回は昭和三七年一月一二日金七三万八、七二〇円、第三回は同年二月八日金三六九万三、六〇〇円(いずれも税込み)が支給されたことは、当事者間に争がないので、以下右各支給が前段で説示した合理的な期間内になされたものであるかどうかについて、検討する。
同人が判事を定年退官した昭和三六年六月一六日現在においては、法令上同人の判官退職前の在職期間は判事の在職期間に引続いたものとみなされなかつたのであるが、その直後令附則第五項の改正により、引続いたものとみなし得る中間空白期間が大幅に延長されたため、もし同人が右規定にいう「他に就職することとなく」の要件を満すものと認められることになれば、同人の外地在職期間等は判事としての在職期間に引続いたものとみなし得ることとなつたことは、前記のとおりである。
しかして、<証拠>を総合し、これに弁論の全趣旨を参酌すれば、次の事実を認めることができる。
すなわち、古賀岩蔵は、判官退職後判事に再就職するまでの間に、弁護士名簿に登録して弁護士を開業していた事実があり、したがつて右規定にいう「他に就職することなく」の要件を充たすかどうか極めて疑問であつたので、最高裁判所事務総局人事局長は、あらかじめ原判決添付別紙(二)のとおり昭和三六年六月六日付書面をもつて退職手当の主管庁である大蔵省主計局長に宛てこの点に関する見解を照会していたが、当人が退職するまでにその回答を得られなかつたため、とりあえず判事任命後の勤続期間について法第三条(普通退職の場合の退職手当)を適用した退職手当を支給することとして、昭和三六年七月六日第一回の支給をしたこと。
その後も大蔵省主計局長の回答がないまま昭和三六年一二月九日に至り、歳出予算の支出が可能なことの見通しがついたので、昭和三二年法律第七四号国家公務員等退職手当暫定措置法等の一部を改正する法律附則第二項および同年政令第一二六号国家公務員等退職手当暫定措置法の一部を改正する法律附則第二項の規定により退職手当の支給を受ける職員の範囲等を定める政令第二条(年令五〇歳以上で勤続一〇年以上の者等に整理退職の場合と同じ退職手当の支給をすることができる旨の規定。)および第三条(「右法律附則第二項の規定により国家公務員等退職手当法第五条の規定による退職手当を支給する場合においては、当該年度におけるその支給額と当該各省各庁に所属するその他の職員に対し同法の規定により支給する退職手当の額との合計額が当該年度における当該各省各庁の退職手当に係る歳出予算の額をこえないようにしなければならない。」旨の規定。)の規定に基づき、法第五条(整理退職等の場合の退職手当)による退職手当を支給することにして、昭和三七年一月一二日第二回分を追給したこと。
原判決添付別紙のとおり昭和三七年一月一〇日付書面をもつて大蔵省主計局長より最高裁判所事務総長宛て令附則第五項の「他に就職することなく」の解釈についての通知があり、右書面は同月一一日到達し、その記載のごとく運用することになつたため、本件の場合もこれに準じて当人の前記弁護士開業を同項にいわゆる「就職」に該当しないものとして取扱うこととし、当人の判官退職前の在職を判事任命後の在職に引続いたものとみなして法第五条を適用し、すでに支給ずみの額との差額を昭和三七年二月八日第三回分として支給したこと。
なお定年退職の普通の場合に、履歴事項の調査、退職手当の発令上申等退職日前になし得る手続を退職日前にすませたとしても、会計法規上の制約のため、当時の官庁機構の下では通常退職日以後二〇日ないし三〇日前後の期間を退職手当支給手続のために必要としたこと。
以上の事実が認められるのであつて、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
そうすると第一回の支給は、勤続期間の計算につき、判事在職中の期間に判官在職中の期間を通算することに改正法令解釈上の疑義があつたが、本人の利益を考慮し、右疑義の解決をまつことなく、とりあえず支給可能な限度において、判事任命後の勤続期間について法第三条を適用した退職手当を支給することとしたものであつて、右につき法第五条の退職手当を支給することができなかつたのは当時法令による歳出予算上の拘束があつたためであると認められるから、右第一回の支給は相当であり、かつ本人の定年退職日である昭和三六年六月一六日の翌日から起算して二〇日目に支給されているから右にいう合理的な期間内に支給されたものということができる。
第二回目の支給は、右法令解釈上の疑義が容易に解決されないまま、昭和三六年一二月九日を迎え歳出予算の支出可能なことの見通しがついたので、前同様本人の利益を考慮し、判事任命後の勤続期間において法第五条による退職手当を支給することとし、昭和三七年一月一二日に、さきに支給した法第三条による第一回の支給分との差額を追給したものであるから、これまた相当であり、かつ右第二回目の支給は歳出予算の支出可能の見通しがついた昭和三六年一二月九日から起算して三五日目になされており、この間には年末年始の休暇がはさまれていることを考慮すると、これも合理的な期間内になされたものということができる。
第三回の支給はさらに遅れ昭和三七年二月八日にようやくなされているが、そもそも、法令の改正前にあらかじめあらゆる具体的事案に即応する行政解釈を定めておくことは事実上困難であるのみならず、本件のごとく反対解釈をなしうる余地が多分に存し、しかも同種事案が多数にのぼることが予想される案件にあつては、主管庁において歳出予算の余裕の程度ともにらみあわせて慎重に検討する必要があり、本件の場合、大蔵省主計局長は昭和三六年六月六日付書面による最高裁判所事務総局人事局長よりの照会に対し、昭和三七年一月一〇日付書面をもつてはじめて右に関連する通知をなしているが、それまでにかような日時を費したのは、決して主管庁の怠慢によるものではなく、右に掲げたような諸事由から慎重審議を重ねてもなお結論を得るまでにそれだけの日時を必要とするやむを得ない事情にあつたものと認められ、法令上の解釈の疑義につき当局が即座に行政解釈を与えないことは事案のいかんを問わずそれ自体国の責任であるとは一概にはいいきれないから、右第三回の支給も結局相当であるというに妨げなく、かつ右第三回の支給は前記大蔵省主計局長の通知書の到達した日である昭和三七年一月一一日から起算して二九日目になされているから、これも合理的な期間内になされたものということができる。
以上を要するに退職手当の支給は、普通の場合には、退職後二〇日ないし三〇日前後の期間内になされれば履行遅滞なく、特殊な場合には、その特殊事由が整備された後、前同期間内になされれば同じく履行遅滞はないというべきである。
右のとおりで、本件退職手当は、退職後退職手当の支給を準備するために要する合理的な期間内に支給されているものということができるから、控訴人はその支給について履行遅滞の責を負わず、したがつて被控訴人らの遅延損害金の請求は理由がない。
三、そこで、被控訴人らの国家賠償請求について按ずるに、被控訴人らの先代古賀岩蔵に支給すべき退職手当は、全額その履行期に支給ずみであることは右に述べたとおりであるから、退職手当不足額相当の損害および退職手当支給遅延による損害は発生するに由なく、したがつて被控訴人らの国家賠償の請求が理由なきことは、明らかである。
四、遅延損害金の不履行ありとしても、さらにこれに遅延損害金を附加することは原則として許されないのみならず、被控訴人らの前記遅延損害金の請求が理由のないことは二に述べたとおりであるから、その履行遅滞を根拠としてさらにこれに対する遅延損害金の支払を求める被控訴人らの附帯控訴にかかる請求も理由なきことは、明らかである。
五、如上説示の次第で、本件控訴は理由があるから、原判決中控訴人敗訴の部分を取消して被控訴人らの請求を棄却し、本件各附帯控訴はいずれも理由がないから、これを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。(古山宏 川添万夫 右田堯雄)